メモリアル vol.09

cachetteのクリエイティブ・ディレクターとしてさまざまなコンテンツを制作してきた私、秋山 都の長年のパートナーでもあったジュディがこの3月1日に空へ旅立ちました。ともに暮らした16年余りの日々を振り返り、楽しかったことやうれしかったこと、そして愛犬を見送ったいま、後悔してやまないことをお伝えしようと思います。

 

vol.09 秋山都&ジュディ(ミニチュア・ピンシャー、16歳3か月)

 

ミニチュア・ピンシャーのジュディ、享年16歳3か月でした。

ジュディに出会ったのは2006年の春でした。当時、35歳の私は都内に購入したマンションがペット可の物件だったこともあり、ふと犬を飼いたい、と思い立ったのでした。それまで実家で8歳のころからラブラドール・レトリバーやジャーマン・シェパードと暮らしていたこともあり、犬と一緒にいることが当たり前だった私にとっては、決して広くはない部屋であったものの、ひとりで暮らすのは心細く感じられたのです。それまで中~大型犬種しか飼ったことがなかったので、小型犬を飼ってみたい。そう思った私が思い浮かべたのはミニチュア・ピンシャー(以下ミニピン)でした。

とはいえ、そのときミニピンについて知識を持っていたわけではありません。姿が似ていることからドーベルマンのミニチュアなのかと思っていたほどです。短毛種ですっきりした体形の犬が好きだ、というそれだけの理由で「ミニピンだ!」と閃き、すぐにいちばん近いペットショップに電話をしました。

「ミニピン? いまちょうど一匹いますよ」

たった一度の電話でそのような返事をもらえ、その日のうちに出かけた小さなペットショップで出会ったのがミニピンの仔犬、当時生後4か月だったジュディでした。ちなみに、現在の私はペットショップでの生体販売に反対の立場です。が、16年前に仔犬と出会う際にはまだペットショップがメジャーなチャネルだったことを言い訳させてください。

ベランダでひなたぼっこが大好きだったジュディ。

実家で飼っていたラブラドールがお産をしたこともあり、仔犬の世話もひと通りわかっていたつもりでしたが、それでも初めての小型犬は、それまでの私の知っている犬とはまったく異なるものでした。ジュディの性格はひとことで言って「ハイパー」。小さな体で始終機敏に駆けまわり、テーブルに置いたモノも1メートルほどならジャンプして鼻でつっつき落とすので、私は彼女の後を追いかけ、直したり、拭いたり……小型犬はこんなに大変なのかと驚き、疲れ、育児に自信をなくしたこともありました。当時はファッション誌の編集部に所属していましたが、自分が編集長なのを良いことに犬連れで出勤し、ずっと抱っこしたまま仕事をしていたこともありました。そのせいかジュディは抱っこ大好き犬になり、ずっと抱っこをせがむようになったのですが……これものちに反省したひとつです。

北軽井沢の牧場で、敷地内を自由に遊びまわっていました。

当時、私は乗馬が好きで、なかでもエンデュランスという長距離耐久競技に打ち込んでいました。毎週末、北軽井沢や伊東へ行き、練習したり試合に出たりしていましたが、そこへもジュディを連れていきました。東京ではマンション暮らしで土を踏むことも少ないなか、山へ行けば敷地内を自由に走り回れるのはジュディにとっても楽しかったようです。たくさん駆け、大きな馬のお姉さんお兄さんと遊び、ときには軽く蹴られてポーンと宙を舞ったジュディを慌てて抱きとめたことも。幸いケガはありませんでしたが、そんなことがあってもジュディは馬が大好きで、牧場へ行くといつもうれしそうにしていました。

「お馬さんにこんにちはして」と近づけたけど、ちょっとイヤそう。

仕事や、週末の乗馬に一緒に行くといっても、毎度犬連れというわけにもいかず、国内外の出張時にはホテルでのお留守番を余儀なくされていたジュディにとって、大きな転機が訪れたのは私の晩い結婚でした。私は44歳で、当時勤めていたアマゾンジャパン社の同僚と結婚。彼が一緒に暮らすことで、ジュディがひとりでお留守番する時間は劇的に減りました。

結婚式を挙げた夜。セットした髪の“毛たぼ”で遊びました。

新婚当初はふたりと一匹暮らしに慣れず、ダンナに噛みついたり吠えたりしていたジュディですが、彼が私に輪をかけて犬好きで、かつ丁寧に愛情をもって接してくれたおかげで、(私を除いた)ふたりは徐々に仲良しに。犬と人間の間柄も異性のほうが強固になる、が私の持論ですが、男のダンナと雌のジュディはそれはそれは甘い雰囲気で、ときに私は軽い嫉妬を覚えるほどでした。

北軽井沢を散歩するダンナとジュディ。

そんなジュディに老いの兆候が見え始めたのは12歳を過ぎたあたりでしょうか。ときどき後肢を気づかうような仕草を見せたり、白内障で目が見えづらくなったり……1年に1回だった動物病院でのチェックが半年に1回になり、3か月に1回になり、1か月に1回になり。15歳を過ぎたころから胆嚢や腎臓の数値に異常が現れるようになり、そのうち心臓にも異常をきたすようになりました。散歩で歩ける距離もどんどん短くなり、ほとんど抱っこで、トイレをするためだけに地面におろすような状況であっても、私たちはまだまだジュディは元気だと、どこかで思い込もうとしていたのかもしれません。

今年2月末のこと。いつも通り起きたジュディがお昼寝用のベッドの上でコロンとひっくりかえりました。四肢をつっぱり、あきらかにおかしい様子にあわてて抱きかかえたところ、身体が冷たくなっています。すぐに病院へ抱えていきました。診てくれたかかりつけの獣医師の表情から、いえ、ジュディの様子からも状況が厳しいものであることは明白でしたが、それでもどこかでまだ大丈夫だと思っていたくて、「もってあと数日」と伝えられても、その言葉を現実のものとして受け止めることができませんでした。

在宅で仕事中、セーターの中に入るのが好きだった。

腎臓がうまく働かず、尿毒症を起していたジュディの、細かい変化になぜ気づかなかったのか。いえ、本当は気づいていたのです。最近口がいつもより臭っていたこと。時折、家の中でも方角がわからなくなり迷っていたこと。太陽のまぶしい光にチックをおこしていたこと。たくさんのサインがあったのに、「いますぐ病院へ行こう」ではなく「次の定期健診時に伝えればいい」と思っていた私たち。実際、ジュディが発作を起こしたのは、まさに健診のために病院へ行こうと思っていたその日だったのです。もっと早くに大小の変化を深刻なものと捉え、アクションを起こしていれば、ジュディの寿命はもう少し長かったでしょうか? 悔やんでも悔やみきれません。

なすすべなく家に連れ帰り、まずその後1週間ほどの仕事をすべてキャンセルしました。その晩は家族3人でいつも通り川の字になってベッドに入りましたが、ジュディの切迫した呼吸がその時がすぐ近いことを教えてくれていました。ジュディも見えない目を見開き、なにか言いたげな様子でしたが、それでもなんとか眠った……のでしょう。気づいたら朝でした。

桜の季節には毎年記念撮影していました。来年の桜も一緒にみられるように、と願いつつ……。

朝は少し落ち着いたような様子でした。お水を飲むかと、シリンジで水を与え、ひとくち、ふたくち。飲んだかな、と思ったらすぐ、その前日のような発作が起きました。もうその瞬間、だったと思います。身体がさっと冷たくなり、脈がないように感じられました。慌てて身体をさすり、あたためたところ、弱々しいながら鼓動が戻ってきたのです。ずっと抱きながら、身体をさすり、「ありがとう」「もうがんばらなくていいよ」と伝え続けました。その間ほんの数分だったと思いますが、ジュディは私の腕のなかで旅立ちました。

いま、ジュディを亡くしてひと月が経とうとしています。まだジュディがいないことになれず、ソファやベッドの上のどこかにジュディを探してしまいます。こうしてPCを前にしているときも、膝の上やセーターの中にジュディがいないことが信じられません。私たち夫婦の間にジュディがいるのが当たり前だったのに、ジュディの亡きいま、初老の夫婦は何をどのように会話してよいのか、とまどっています。

「ジュディ!」と呼べば、一心に駆けてきました。

ジュディを思い出そうとするとき、ソファで軽くいびきをかいて寝ていたジュディや、北軽井沢の牧場で私をめがけて一心に駆けるジュディ、いつも散歩に行っていた東大の構内で黄色く色づいたイチョウのカーペットをわしゃわしゃ蹴散らかして遊んでいたジュディの幸せそうな姿しか思い浮かんでこないのは、私の飼い主としてのエゴでしょうか。ジュディの16年が幸せだったと思いたいのです。ジュディが本当に幸せだったのかはわかりません。でも間違いなく、ジュディと暮らした私の16年は幸せでした。私たちより寿命が短く、限りある生命である犬だからこそ、日々の輝かしい思い出を遺してくれたのだと思います。ありがとう、ジュディ。

 


Photos, Text and Edit by Miyako Akiyama

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